パラレルワークー人生は分散させるべきなのか

少し前から、いわゆる「パラレルワーク」なスタイルをとっています。週4日正社員として働き、週1日はフリーランスとして働いています。

背景はいろいろあるのですが、僕は基本的に会社という存在を信用できないため、そのリスク分散という意味合いが一番強いです。完全にフリーランスでやっていく力はまだありませんし、フリーランスにはそれはそれで別の問題もありますので、今はこのような働き方をしています。

しかし一方で、分散することが本当にリスク回避なのか?という思いもあります。言うまでもなく時間は有限で、何かに時間を充てれば、その分何かができなくなります。

そして、それは歳を取るにつれ加速していきます。僕は40歳で子どもが二人いて、自分のために充てられる時間は極めて限られています。これは自分が望んだ理想の生活なので(子どもが好きなのです。変な意味ではなく)、まったく問題はありませんが、時間がないのは事実です。

このような状態で分散することが本当にいいことなのか、と考えるわけです。

「虻蜂取らず」。「二兎を追う者は一兎をも得ず」。英語だと「Between two stools you fall to the ground.」。中途半端に複数のものを追いかけることを諌める諺はたくさんあります。ビジネスの世界でも、自分のプロフェッショナリティを尖らせることの重要性は様々な場面で語られます。

もちろんパラレルワークを通じて尖らせることはできますし、そうすべきです。重要なのは自分の強みを伸ばすために、自分の生活の様々な部分に筋を通していくことなのかなと思います。生活全体に自分なりのフレームワークを適用する、というか。

 

Kindle Unlimited 解約

本日、一ヶ月お試し終了前にKindle Unlimitedを解約しました。

結論から言えば検索機能が貧弱過ぎます。誇れるほどのラインナップがまだないということなのでしょうが、意図的に深く探せないような作りになっており、これはちょっとユーザーを馬鹿にし過ぎだなあ、と感じてしまいました。

現時点でこのサービスに意味が見出せるのは雑誌好きなユーザーくらいではないかと思います。僕もiPadProの12.9インチを持っていたら解約を少しためらったかもしれませんが、今続ける理由はなにも思いつきませんでした。

ただ勝者がAmazonになるかどうかはともかくとして、遅かれ早かれこのようなサービスが一般的なものになるのは間違いないでしょう。音楽が辿った道を書籍が辿らない理由がありません。

個人的には月980円という価格は安すぎるように感じますが、単に読書好きとしての思い入れだけなのかもしれません。元々僕が好きな作家は作品だけで食べていくのが難しそうな人が多いですが、楽曲だけで食べていけるミュージシャンが激減したように、今後は今まで作品で食べてきた少数の作家にとっても受難の時代が来るはずです。

ミュージシャンにはライブと物販という武器がなんとか残されていました。作家はコンテンツの多メディア展開と文化人枠が古くからの定番ですが、この恩恵に与れる人は極めて限られていますし、そもそも大したお金になりません。

ビジネス領域では、10年ほど前からメールマガジンによる収益が模索されています。先日ジャーナリストの方が、自分のメルマガはクラウドファンディングのつもりで登録してほしいとお願いしている、と発言している記事を読みましたが、今後はあらゆる著作者が本業とは別の収益を作っていかないといけなくなるのかもしれません。

リオ五輪の閉会式で東京は女子高校生を出すべきだったのか

リオ五輪閉会式で流れた東京PR映像で、冒頭に制服の女子高生を登場させたことが論議を呼んでいます。全体としてはとてもスタイリッシュに仕上がって評判がよかっただけに、ちょっともったいなかったですね。

 
何度も繰り返し見ましたが、思うに冒頭の部分は後からアイデアが付け加わったのではないかな、、(妄想です。ごめんなさい)。
 
あの映像は大きく5つのパートに分かれています。そして一見ストーリーがつながっているように見えますが、実際は個々のつくりはかなり独立的になっています。
 
1.渋谷のスクランブル交差点&女子高生
2.東京の夜景をバックにしたスポーツ選手の競演
3.北島選手、高橋選手、村田選手とつなぐ赤いボールのリレー
4.リムジンに乗っている安倍首相
5.土管を置くドラえもんとそこに入るマリオ
 
このうち、1と4は省略可能。赤いボールをマリオが受け取ってリオに運ぶというストーリーだけで成り立ちます。多分原案はここが中心だったのでは。その中で、キャラクターのマリオだけで完結させるか、誰かをマリオに扮してもらうか、という議論があったのではないかと想像します。
 
安倍首相をマリオにする案は森会長が提案したそうですが、この決定は結構ぎりぎりだったのではないでしょうか。行政の長が簡単に変わってしまう経験を東京都民はつい先日経験していますしね。7/10の参議院選開票以降だった可能性も、、、さすがにそれはないか。
 
そして安倍首相がマリオになるという決定の後に、「安倍首相は多忙」→「リオに間に合わない」→「リオまでまっすぐ穴を掘るのは、時間がなかったから」という後付けのストーリーになったのではないでしょうか。(妄想です)
 
そして、安倍首相がリムジンの中で腕時計を見て、リオまで間に合わない、、、まで構成したところで、今東京が9:30だということをあらかじめ想起させておかないと視聴者にわかりにくいのではないか、という判断から冒頭の渋谷が差し込まれたのではないでしょうか。明らかに渋谷のシーンはその次の映像とつながっていないですし。
 
個人的には、今回のフェミニズムの観点からの問題提起はそれはそうだなと思う点があり、避けられるなら避けたほうがよかったと感じています。
 
ただ、無自覚の罪を横に置いて言うと、上記のような理由で冒頭のシーンはパパッと決めて作り込んだのではないかな、とそんなふうに感じます(繰り返しになりますが妄想です)。
 
もし女子高校生を登場させることにもっと自覚的だったら、あの制服・あの女の子にはしなかったのではないかと。あのシーンを見た多くの人は、制服よりも女の子のエキゾチックな顔立ちに惹かれたはずで(土橋ココ選手という体操の若きホープだそう)、制服を着ていたというのは言われて気づいた人もいるのではないでしょうか。僕はそうでした。
 
そして、それくらい高校生の制服が日本の日常の中に溶けこんでいるのも事実です。僕は制服は嫌いですけど、その事実自体は否定できませんし、それをあえて使わないのも変というのも、一つのまっとうな意見だと思います。
 
冒頭のシーンは、日常からの跳躍、という以上のメッセージはなく、それを内外にわかりやすく伝えるために渋谷のスクランブル交差点と制服姿の女子高生を使った、とまあそれくらいの感じだったのではないかな。
 
その背後に隠れているものにもっと自覚的であるべきという指摘はもっともだと思います。その上で言うと、このレベルの作品に関わるような先端クリエイターにとっては、女子高生をシンボリックに扱うような話はもう遥か昔に通り過ぎているのではと思うのです。
 
自分の知っている限りでも、90年代のブルセラ、ルーズソックスブームがあり、岡崎京子さんが鋭い感性で切り取っていき、それを安野モヨコさんたちが引き継いで。より芸術方面に行くと会田誠さんだったり、村上隆さんだったり、海外からの視点でノーダウトのグウェン ステファニーやレディガガだったり。
 
最近だとインスタグラマーのような話もあるものの、むしろ10年代に入ってからは女子高生とかカワイイみたいな話って、作り手としてはもうちょっとお腹いっぱいといった雰囲気もあったように感じます。
 
東京五輪のPR映像でも、カワイイはキティちゃんだけで。著作権の問題があったのかもしれませんが、セーラームーンが登場しなかったことは特筆すべきことだと思います。
 
あの映像をつくったクリエーターさんにとっては女子高生というのは、もはやなんのシンボルでもなかったのではないだろうか。だからこそ、避けて何の問題もなかった、、。改めてもったいなかったな、と思います。
 

外資系企業で働くということの、とある一つの事例(その2)

 

前回はこちらです。

外資系企業で働くということの、とある一つの事例(その1) - 十二十

 

 

実際自分の英語力がどのくらいだったかと言いますと。

外資系に転職したとき、TOEICの点数は875点でした。

 

これは、まあまあ高いけれど、

英語をしっかり操れるとはとても言えない数字です。

 

 

僕の周りを見回してみても、

仕事できちんと英語を使っているなあ、

と思える人は、920〜930くらいは普通。

 

帰国子女の方々ですと、950くらいは

特に勉強せずとも取れるようでした。

 

 

※余談ですが、

 

TOEICで高い点数をとっても英語を喋れない人はいるが、

英語をきちんと喋れるのにTOEICの点数が低い人はいない。

問題自体は簡単だから」

 

僕の周りの共通意見です。

 

 

僕もTOEICに関しては受験勉強的なアプローチで頑張ったので、

英語が話せる、という実感はほとんどないままの転職でした。

 

それまで英語で喋った経験は、

半年ほど週一で通った英会話学校だけ。

 

 

だから、面接を終え、転職すると決断してからも、

自分がやっていけるのか不安でしょうがなかったです。

 

 

結果的には杞憂で終わりました。

 

職場で英語を使う機会は、

 

1.本国スタッフとのメールでのやりとり

2.本国スタッフとの電話でのやりとり

3.本国スタッフとのTV会議

4.職場での外国人スタッフが加わる会議

5.海外出張

 

この5つだったのですが、

そのうち1が大半を占めていたからです。

 

 

もちろん、はじめのうちは、

英語メールのやりとりについていくのも大変でした。

 

時差があるから(本社はヨーロッパです)、

毎朝出社すると大量の未読メールがたまっているんですね。

これは正直憂鬱でした。。。

 

 

でも、やがて慣れます。

次第に日本語とあまり変わらないスピードで、

メールが処理できるようになってきました。

 

 

英語のビジネスメールは、

日本語のそれよりも遥かにフランクです。

(特に社内のやりとりに関しては)

 

はじめは、こんなぶっきらぼうな返事でいいのかなあ、

なんて心配していましたが、すぐに気にならなくなりました。

 

 

そして、メールという道具は、

電話で話すときにもとても役立ちました。

 

相手の言っていることがよくわからなかったら、

「とりあえず、後でメールで詳細を話そう」

と逃げられるからです。

 

何度これに助けられたことか。。。

 

 

このように英語がうまくなくても、

なんとか仕事は回せるようになります。

 

前回書いたように、回せないようなら

そもそも採用されませんので安心してください。

 

なんとかなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外資系企業で働くということの、とある一つの事例(その1)

 

外資系企業で働いたことがある

 

外資系メーカーで、

5年ほどマーケティング業務に従事していました。

 

そう言うと、英語ってどうなの?仕事のやり方違うの?

と、友人、知人に聞かれます。

 

 

特に新卒から国内資本の会社で働いていると、

なかなかイメージしづらいよう。

 

かつては僕もそうでした。

 

 

どうってことはなかった

 

働いてみると、どうってことはなかった。

 

これが、外資系企業で働いた経験のある人の、

(ほぼ)共通認識ではないかと思います。

 

 

さすがに最近は少なくなりましたが、僕が二十代の頃は、

外資系への憧れを煽るようなビジネス本が結構出回っていました。

 

今考えれば著者の自分マーケティングに過ぎないのですが、

当時はなるほどなあ、と思いながら読んだこともありました。

 

 

でも、 働いてみると、だいぶ違いました。

 

その手の本は、要は自慢話。

だから自分の置かれた環境を、実際より凄いものに見せようとしていた。

それだけのことでした。

 

 

もちろん自分のごく個人的な経験を、

数多ある外資系企業すべてに当てはめようとは思いません。

 

Q7: 日本にはどれくらいの外資系企業が存在していますか。 

総務省が平成18年に行った「事業所・企業統計調査」によれば、外資比率(外国投資家の出資比率)3分の1超の企業が3,084社、5割以上の企業が2,787社となっています(なお、国内全企業数は、151万5,835社)。

我が国の直接投資に関するQ&A

 

 

だけど、必要以上にナーバスになる必要もありません。

心配することないよ、と当時の自分に言ってあげたいです。

 

 

なので、今日は外資系に転職を考えている人にとって、

少しでも参考になるよう、自分の経験を書いてみようと思います。

 

僕も外資系企業に転職する前は、

働いている人のブログを検索して読みましたから。

 

 

繰り返しますが、個人的な事例です。

下の内容は、すべて「ただし例外はある」と補記してくださいね。

 

 

長くなりそうなので、何回かに分けて紹介します。

 

 

英語力について

 

外資系企業で働こうとする人が、

一番気になるのは英語力だと思います。

 

でも、

これについては何も心配いりません。

断言してもいいです。

 

 

なぜなら。

そのポジションに必要な英語力が不足していたら、

面接は通らないから。

 

逆に言えば、もし面接に通ったら、

今の英語力でOKとみなされたということです。

 

 

そんなの当たり前だろ!!

と思うかもしれません。

 

 

でも、特に初めての転職のときには、

結構ここがゴチャゴチャになってしまいがちです。

 

英語力がないのに、何かの弾みで面接に通ってしまって、

職場でまるで仕事にならず絶望する自分。。。

 

そんな想像は無用です!

と声を大にして言いたいです。

 

 

ほとんどの場合、

面接者はあなたの上司になる人ですから、

自分の責任を問われそうな採用は絶対にしません。

 

 

そして新卒でもない限り、

実力不足だがポテンシャルを考慮して採用、

なんてこともまずありません。

 

外資系企業で働いている友人と話していて、

ここだけは共通しているなあ、と思うことがあります。

 

それは、採用の時点で、

自分の職務がかなりはっきり決まっている、ということ。

 

ジョブディスクリプションなるものが渡されて、

あなたの仕事はこれこれです、と。

 

その精度は会社によってまちまちですが、

採用の決め手になるのは、その職務を遂行できるか。

よくも悪くもそれだけですから。

 

高い英語力が必要なら、それに見合った人を取るだけです。

 

 

もしこれが語学以外の要素、

例えばSNSマーケティングの経験とかそういう話であれば。

 

嘘八百を並べ立てて、実力不足だが面接に通ってしまう、

ということも、もしかしたらあるかもしれません。

 

 

でも、語学力は隠しようがありません。

仮に面接用に例文を丸暗記したところで、

数分も喋ればわかってしまいます。

 

そりゃ仕事していれば少々恥ずかしい思いをすることもあると思いますよ。

担当者が風邪引いてしまったから、代わりに海外出張行ってきてくれ、とか。

 

でも、それだってやっぱり務まると思うから頼まれるんです。

 

 

だから、変な励まし方かもしれませんが、

転職を考えている人は安心して履歴書を出してください。

 

 

あなたの英語力は大丈夫です!

 

 

 

日本の子どもは貧しいのか(その3)

 

 

しつこく子どもの貧困について考える

 

昨日の続きです。

 

日本の子どもは貧しいのか(その1) - 十二十

日本の子どもは貧しいのか(その2) - 十二十

 

 

これまでの話をざっくりまとめます。

 

ーーーーーーーーーーーーー

・日本の子供の幸福度は総合6位(ユニセフ調査)。

 

・教育などが1位だが、物質的豊かさは21位。

 

・日本の子供は物質的に豊かではないのか?

 

・「相対的貧困率」が悪化している。(14.6%)

 

・しかしそれは今に始まったことではない。

 (昭和60年の時点で10.9%)

 

・日本では、税金による所得再分配が、

 子供のいる貧困家庭に対して機能していない。

 

・日本の福祉は年金と医療に偏り、

 「福祉その他」の割合が少ない。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

ということでした。

 

イメージしやすくするためにつくった簡単な例を再掲します。

 

・夫、妻、子ども2人の4人暮らし。

・夫の年収が手取り180万円(月15万円。ボーナス無し)。

・妻のパート年収が手取り44万円(月3.6万円)。

 

これ以下の生活状況が相対的貧困とされている。

 

そして、子どもがいる家庭のうち、

全体の14.6%が、相対的貧困ということになります。

 

 

そして、欧米諸国との比較です。

注目すべきは「福祉その他」の割合が日本は少ないということ。

 

http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/09/images/09_03f.gif

 厚生労働省:政策レポート(社会保障の給付と負担の現状と国際比較)

 

 

 

子育てに回る福祉は少ない

 

上のグラフをもう一度見なおしてみます。

「その他福祉」のところに、「うち介護」と書かれています。

 

介護も「福祉その他」に含まれるんですね。

 

 

では、介護部分を引いたら、「福祉その他」はどうなるでしょうか?

 

日:4.66%(うち介護1.63%)→3.03%

米:2.99%(うち介護0.01%)→2.98%

英:10.70%(うち介護0.78%)→9.92%

独:10.95%(うち介護0.27%)→10.68%

仏:12.02%(うち介護0.12%)→12.90%

瑞典:18.30%(うち介護3.42%)→14.88%

 

アメリカとほぼ同等。ヨーロッパとの差はさらに広がります。

 

 

「子供の貧困」に関しては、

日本の福祉政策において後回しにされている。

 

残念ながらそういう印象を持ちました。

 

 

日本の福祉政策

 

 

なぜこのような福祉政策を日本は推進してきたのか。

厚生労働省の説明です。

 

平成24年版厚生労働白書 −社会保障を考える− (本文)|厚生労働省

 

「第3章 日本の社会保障の仕組み」の「第3節 日本の社会保険制度」

の中でこのように述べています。

 

日本では、国民の生活基盤の安定は、右肩上がりの経済成長や低失業率と、それらを背景とした企業の長期雇用慣行(終身雇用を前提とした正規雇用)、地域の雇用維持のための諸施策(公共事業による雇用創出等)など、男性世帯主の勤労所得の確保によるところが大きかった。

 

そして社会保障は、どちらかと言えばこれを補完する役割を担ってきた。その結果、他の先進諸国と比較すると、社会保障支出は規模の点で小さく、そのために必要となる負担も抑制されてきた。支出面ではっきり増大してきたのは、高齢者人口の増大に伴い、人々が職業生活を退いた後の年金給付や高齢者の医療費等であった。

 

また、男性世帯主が仕事に専念する一方で、子育てや介護については、家庭内での家族によるケアへの依存度が高く、特に、専業主婦の奮闘によるところが大きかった。

 

このように、日本の社会保障制度には、①国民皆保険・皆年金制度、②企業による雇用保障、③子育て・介護の家族依存(特に女性に対する依存度が高い。)、④小規模で高齢世代向け中心の社会保障支出、といった特徴があったといえる。

http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-03.pdf p.36

 

 

まあ、以前からよく言われているようなことですよね。

 

子育ては家庭(特に女性)の問題だった。

だから社会保障のサポートは少なかった。

簡単に言うとこういうことです。

 

 

この仕組みが成り立つためには、

父親と母親が両方とも健在、

かつ父親の稼ぎが十分であることが前提条件です。

 

 

逆に言えば、その条件を満たさない家庭は、

昔から、社会保障のサポート外に置かれていた、

そういうことなのかもしれません。

 

 

 

 

では、どうするのか?

 

しかし、この財源不足の中、

お前はどうすればいいと思っているの?

 

当然そうなりますよね。

 

 

現時点での自分の意見は、

国民の医療費負担をさらに上げ、

貧困状況に陥っている子どもに回す、です。

 

高齢者叩きととってほしくないのですが、、、

 

一般に高齢者のほうが医療費がかかり、

子どものほうが医療費がかかりません。

 

したがって一種の世代間資産移転になると考えています。

 

 

もちろん考えなければいけないことは山ほどあります。

 

高額医療については様々なケースを考えなくてはいけません。

 

貧困家庭の子ども自身に確実に福祉が回る仕組みも必要です。

 

そもそも日本における子どもの貧困とはなにか?

それも考える必要があります。

衣食住が足りないのか。教育環境の格差なのか。

 

 

ただ、ひとつ言えるのは。

 

子供は親を選べません。

そして、子供自身の力で安定した収入を得ることも難しい。

 

だから、本来であれば社会福祉は真っ先に子どもに向けられるべき。

 

そう僕は考えています。

日本の子どもは貧しいのか(その2)

 

日本の子供の物質的貧困 

 

昨日の続きです。

日本の子どもは貧しいのか(その1) - 十二十

 

簡単に昨日の話をまとめると、

 

ーーーーーーーーーーーーー

・日本の子供の幸福度は総合6位(ユニセフ調査)。

 

・教育などが1位だが、物質的豊かさは21位。

 

・日本の子供は物質的に豊かではないのか?

 

・「相対的貧困率」が悪化している。

ーーーーーーーーーーーーー

 

ということでした。

 

イメージしやすくするためにつくった簡単な例を再掲します。

 

・夫、妻、子ども2人の4人暮らし。

・夫の年収が手取り180万円(月15万円。ボーナス無し)。

・妻のパート年収が手取り44万円(月3.6万円)。

 

これ以下の生活状況が相対的貧困とされている。

 

そして、子どもがいる家庭のうち、

全体の14.6%が、相対的貧困ということになります。

 

そして、日本はこの数値が少しずつ悪化してきています。

 

指標 昭和60年 63 平成3年 6 9 12 15 18 21
相対的貧困率 12 13.2 13.5 13.7 14.6 15.3 14.9 15.7 16
子どもの貧困率 10.9 12.9 12.8 12.1 13.4 14.5 13.7 14.2 15.7

平成22年国民生活基礎調査の概況|厚生労働省

 

昔から、貧しかった?

 

さて、このグラフを改めて見直すと、

あることに気づきます。

 

それは、

「昭和60年の時点で、すでに10.9%に達している」

ということ。

 

つまり、今に始まった話ではないのです。

 

これについては、NHKのサイトにわかりやすい説明がありました。

視点・論点 「子どもの貧困 日本の現状は」 | 視点・論点 | 解説委員室:NHK

 

1985年には10.9%であった子どもの貧困率は、2009年には15.7%まで上昇しています。この24年間の間に、子どもの貧困率は約5%上昇しま した。現在は、約6人にひとりの子どもが貧困状態にあると推定されます。これは驚くべき数値なのですが、意外なのは、1985年の時点ですでに、10人に 1人の子どもは貧困状態にあったということです。1985年というのは、まだ、「格差論争」さえも始まっていないころです。「1億総中流」などと言われ、 「日本は平等な国だ」というのが常識でした。ましてや、貧困なんぞは、戦後の混乱期以降、解消されたと思われていたのです。しかし、その頃でさえ、日本の 子どもの貧困率は決して、低いレベではありませんでした。日本は、もう長い間、子どもの貧困大国なのです。

 

なぜこんな状況になっているのでしょう。

サイトではこのように主張しています。

(サイト内にグラフがあるのでぜひご覧ください)

 

しかしながら、日本においては、青のグラフと赤のグラフの差がほとんどありません。政府の再分配機能の大きさからいうと、ギリシャ、イタリアに続いて下から3番目です。
実は、以前の国際比較では、日本の子どもの貧困率は、再分配後のほうが再分配前より高いという状況にありました。つまり、政府の再分配によって、貧困率が 上昇していたのです。今回のユニセフの報告書では、かろうじて、再分配が機能していることが見えますが、ほかの国に比べると、その効果は非常に小さいと言 わざるを得ません。
なぜこうなるのか。これは考えてみれば非常に当たり前のことです。というのは、貧困層は、所得税はそんなに払いませんが社会保険料は結構な額を払っています。しかし、給付は非常に少ない。生活保護は国民の2%しか受け取っていませんし、その半分は高齢者です。社会保障給付のほとんどは年金と医療サービス で、子どものある世帯への給付は児童手当くらいでした。さきほどのデータは子ども手当が導入される前のものなのですが、子ども手当が満額支給されてやっと 諸外国並みの給付レベルとなるのです。

 

まとめると、

 

・日本は社会保険料が高額にもかかわらず、

 子供のある世帯に対しては、

 その見返り(社会保障給付)が少ない。

 

・なぜなら社会保障給付のほとんどは、

 年金と医療サービスだから。

 

・つまり、税金による所得再分配が、

 「子育て世帯の貧困層」に対して、機能していない。

 

 

ということです。

 

これは本当でしょうか?

厚生労働省のサイト(2009年発表)で確認してみましょう。

 

 

厚生労働省:政策レポート(社会保障の給付と負担の現状と国際比較)

 

http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/09/images/09_03c.gif

 

 

このグラフを見ると、

 

確かに年金と医療が占める割合が圧倒的ですね。

「福祉その他」が少ない。

 

では、昔と比べて、変化しているのでしょうか?

 

 

http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/09/images/09_03d.gif

 

 

実は「福祉その他」については、あまり変わっていません。

 

1970年に16.8%。

1990年に10.2%に落ち込みますが、

そこから持ち直しています。

 

 

そして、このように述べられています。

 

 

http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/09/images/09_03e.gif

 

 

高齢化社会の進行に対して、支出はなんとか抑えている。

そういう主張ですね。

 

 

ここから浮かび上がってくるのは、

昔からずっと日本は年金、医療に偏った福祉政策だったということです。

 

再び厚生省のグラフです。

http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2009/09/images/09_03f.gif

 

 

ヨーロッパ、

特にドイツ、フランス、スウェーデンに関しては、

社会保障給付の規模が日本よりはるかに大きい。

 

ただ、これは税金をたくさん取られるということですから、

一概にいいとは言えない話です。

 

 

見るべきポイントは、

「福祉その他」の占める割合です。

ここが日本と大きく違う点ですね。

 

 

さて、また長くなってしまいました。。

もう少し考えたいので、また明日に回します。